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パンズ・ラビリンス
2008年4月21日 (月)
検索タグ: 映画
パンズ・ラビリンス DVD-BOX
出演: イバナ・バケロ セルジ・ロペス マリベル・ベルドゥ ダグ・ジョーンズ 監督: ギレルモ・デル・トロ
連休だったので積んであるDVDから少し見始めた。帯にスティーブン・キングの「不思議の国のアリス以来の傑出したファンタジー」との文が。キング絶賛、の文ほど当てにならないアオリ文は無い。地獄のデビルトラック。
それはそれとしてこの映画はファンタジーとして喧伝されているが実際はファンタジーではない。ファンタジーを否定する物語だ。 少女が経験する幻想的な出来事はすべて個人で体験されることとして描かれていて他人に体験されることはない。最初の時点で最後の少女の状態を示されることにより、以降の物語を少女の回想と考えることができる。少女の行動はすべて少女の主観により表現され、映されたことは真実とは限らない。マンドラゴラの入手法にしても魔法と現実が都合よくリンクするようにみえることにしても。最終盤に大佐にパンとあっているところを見られるが、大尉にはパンが見えない。これは非常にわかりやすく、少女以外の世界に少女の幻想が存在しないことをあらわす。少女が特別な存在でありファンタジーの住人であることと見ることももちろんできるだろうし、両方の立場に見方を揺れ動かせるように作られていることももちろんわかる。が、その振れ幅をもたせることはそのままファンタジーの否定だ。 この話はどちらかというと思春期に現実と理想の間で揺れ動く(そして大抵は現実に押しつぶされる)少年少女を大幅に誇張した寓話的物語だと思う。そのため、対立する存在の必要性から大佐は刺されはするが殺されないし、大して交流もないのにスパイの女は少女を非常に親身に扱う。特に大佐の口を裂いたこと、またそれ以降の大佐は語弊はあるかもしれないが非現実的悪役のイメージを露骨に表わしている。それ以降、大佐は服もろくに着替えず、血まみれで、顔は傷のためひきつっている。寓話否定の中にいる寓話的悪役なのだ。
よく出来た映画であると思う。しかし僕はファンタジーが好きだ。常に現実は物語に勝っている。だが僕は物語が現実に勝つのが見たいのだ。テリー・ギリアムの撮ったバロンのような。
パンズ・ラビリンスを評価する。
しかしパンズ・ラビリンスは好きな映画ではない。
(更新 2008年4月21日 (月) 11時43分) / 0 コメント
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